地域と共に未来を拓く
第2回 株式会社 瀬谷新聞店 (栃木県鹿沼市)
栃木県鹿沼市の一角で、力士たちが相撲甚句を高らかに歌い上げる。 ―天に届かんばかりの美声に聞き入る大勢の人々の中に、その光景を万感の思いで見守る瀬谷一世氏の姿があった。同氏は、毎日新聞や下野新聞など各紙の販売を担う株式会社瀬谷新聞店の2代目・代表取締役。自社の敷地で開催するマルシェは、目玉企画もあって毎回評判になっている。力士の登場はその賑わいのワンシーンだ。七五調を基本としながら、自由な歌詞で聞き手にさまざまな情景を描いてみせる甚句のように、瀬谷新聞店は確固たる理念のもと、地域のつながりの中で新たな物語を紡ごうとしている。(取材日:2026年4月7日)
-瀬谷代表は2代目と伺っています。先代から受け継いでいらっしゃる貴店の指針を教えてください。
先代である父はとても面倒見がよく、自然に人と人をつなぐことができる人でした。東京で生まれた私は、新聞販売業の父に連れられて何度かの引っ越しを経験し、小学生の頃に足利市に落ち着きました。同市には、大相撲・陸奥(みちのく)部屋が夏合宿に訪れるため、父は親方たちともすっかり顔見知りになっていて、2007年、この鹿沼の地に当店を創業したときは「いつか鹿沼の人たちに、ちゃんこ鍋を振る舞いたいなぁ」と話していました。縁もゆかりも無かった当地に瀬谷新聞店の看板を掲げ、社長である父と私は、とにかく懸命に働き続けました。
「早めに配達してほしい」「集金に来るなら、来月にしてくれ」 ―配達・集金業務に注文はつきもので、中には手間が掛かるものもあります。しかし、ちょっとしたご要望でも、お客様と交わした約束をしっかり守り続けていると、最初は素っ気ないように見えた方も、次第に笑顔で接してくださるようになります。あらためて振り返ると、現場で得た学びの数々は、人を大事にしていた父の姿に重なるものでした。その鮮明だった姿が遠く離れていったのは11年のことです。父は病のため、急逝しました。
「私が引き継いで上手くやっていけるだろうか」。東日本大震災後の自粛ムードが折込収入にも影を落とす中、大いに悩みました。それでも、以前から当店を気に掛けてくださる新聞販売業の大先輩や、地元の商工会議所にも勇気づけられ、自分が瀬谷新聞店の看板を背負って立とうと決めました。「人とのつながりを大事にする」 ― これは先代から変わらない当店のDNAです。
-DNAは『せやTOWN』にも宿っているようですね。
12年7月から発行を続けているミニコミ紙『せやTOWN』は、一般紙にはない小さな話題を拾って、当店と読者の皆さまの架け橋となるように編集しています。その内容はオープンしたお店やイベントの紹介などに限りません。
ある日、集金に訪ねた先で、引きこもりのお子さんの将来に悩むご家族の胸の内を伺いました。社会問題がとても身近にあることを知り、引きこもりの支援活動を紙面で取り上げました。そして、行政と連携しながら、社会復帰に二の足を踏んでいる方々の就労支援にも乗り出しました。こうした縁で入社したメンバーは、新聞販売店の多様な業務の中で少しずつできる仕事を増やし、今も当店を支えてくれています。『せやTOWN』では、困っている誰かに寄り添う視点も大事にしています。
新聞販売店は、日々の配達を通して街なかのちょっとした変化に気付くことができます。また、集金など対面のコミュニケーションからも、“ナノ(nano)単位”と言っても大げさではないほど、細かな情報が集まります。その中には、お客様のニーズに限らず、地域課題を見つけることもできます。当店は、行政・企業・地域に暮らす方々のハブになることで、課題解決にも貢献したいと考えています。
-地域情報アプリ「ツムクル」の開発も、課題解決のためのひとつの方法ということでしょうか。
インターネットやSNSが全盛と言われる時代ですが、地域の中では、意外にも情報発信に悩みを抱えている方が多いことに気づきました。当店は、その一助として『せやTOWN』の発行を続けていますが、より広くかつ時代に即したハイブリッド型で課題解決に近づけるように、地域情報アプリ「ツムクル」を制作しました。
例えば、自治体のウェブサイトは情報量が多いため、ユーザーは必要な情報にたどり着くまでに苦労することがあります。一方の自治体側も、サイト制作上の制約などがあり、情報発信の自由度は決して高いとは言えません。当アプリでは、こうした両者の間に立ち、ニュース配信をはじめ、チラシやインスタグラムなどと連携させながら、有益な情報が埋もれることがないように注力しています。マラソン大会や市民講座、子育て支援などさまざまな情報を掲載するにあたり、サービス開始当初は、市役所の各関連部署に足を運び、都度許可をいただいていましたが、今では行政側から情報を提供してくださいます。同様に、企業や地元商店ともつながり、地域の情報流通をサポートしています。
こうしたスムーズな連携は、「新聞」に対する信用はもちろん、新聞販売店の看板のもとで、地道に仕事を積み重ねてきた賜物だと感じています。当社は、洗剤やビールなどの販促品にお金を費やすよりも、“つながり”という目に見えない大切な価値に投資し、できるだけ形にすることで、「新聞を読むなら、地域の情報拠点・瀬谷新聞店から購読したい」と感じてもらえるように努めています。
-開放的なデザインの素敵な店舗ですね。マルシェ開催など、貴店の賑わいは聞き及んでいます。
もともと店舗自体を“開かれた場所”にしたいと考えていました。新聞販売店は、朝刊配達を終えた昼間は閑散としがちで、どこか暗いイメージを持たれかねませんが、これを払拭するため、店舗の印象を一新することから始めました。また、ワークショップを開催したり、「NIE(Newspaper in Education)・教育に新聞を」の一環として、新聞などにまつわる学びの機会「せや塾」を開いたり、大人だけでなく子どもたちにも足を運んでもらえる場所になりました。
そして、例年開催している「せやマルシェ」があります。最初は『せやTOWN』の取材先など2、3店舗からのスタートでしたが、新聞記事や口コミ効果などもあって、出店の輪は着実に広がり、今では20店舗を超えるまでになりました。北海道釧路市から水産品の出店があったり、クラウドファンディングで支援させていただいた財団から有名絵画を貸し出してもらい、当店の作業場を開放した「1日限りのせや美術館」をオープンしたこともありました。
そうした中で、父が生前応援していた陸奥部屋から力士の皆さんにお越しいただいたこともありました。大きな力士に目を丸くする幼い子、抱きかかえてもらい大はしゃぎの子どもたち、色紙をもらって嬉しそうな親子連れ ―そうした賑わいの結びとして、力士の皆さんが披露してくださった相撲甚句の伸びやかな歌声は亡父にも届いているような気がしました。「鹿沼の地に旗揚げした当時、父が望んでいた光景が目の前に広がっている」。本当に胸がいっぱいになりました。
後日、出掛けた先のお客様が、交流した力士の活躍を伝える新聞記事を手にして、感謝の言葉をかけてくださったとき、また一歩距離が近づいたようで嬉しくなりました。もちろん、マルシェには新聞を購読していない方もお越しになります。そうした皆さまが「新聞販売店のイメージが変わった」と口を揃えてくださることにも、新しいつながりができた喜びを感じています。マルシェを開催して、急に新聞読者が増えることはありません。しかし、こうした接点がなければ良い流れは起こり得ないはずです。
-今後に向けても、色々な構想をお持ちのようですね。
父の知人が代表を務めるNPO法人を通じて、裸足で暮らしているフィリピンやタイなど東南アジアを中心とした子どもたちに靴を送る活動を続けています。ご家庭で不要になった靴を集め、17年間で累計5千足超が海を渡りました。協力を求めるチラシを新聞に折り込んだところ反響が大きく、今や支援の輪は地域全体に広がっています。今後、行政と連携しながら、鹿沼とフィリピンの子どもたちをオンラインで結び、交流を通じた学びの機会を持ちたいと計画しています。
24年7月には、当店近くの築60年の建物をリノベーションして、カフェ「KEYHOLE」をオープンしました。2階にはコワーキングスペースも備えており、コミュニケーションの場として機能しています。こうして生まれる新しいつながりが新聞販売店のニーズを集める力と融合すれば、一層大きな力になるはずです。地域に根ざした新聞販売店づくりは、街づくりにもつながると感じています。
昨年、当店のお隣さんから、ご自身が高齢者住宅に入居されるのを機に「私の土地は、ぜひ瀬谷さんに買ってほしい」とお声掛けいただきました。年々盛況になっていくマルシェを間近でご覧になり、手狭になっていた当店の事情を察してくださったからこそのご提案でした。今、縁あって譲り受けた土地は更地になったばかりですが、これから何ができるだろうかと思いを巡らせています。
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