地域と共に未来を拓く
第1回 下野新聞社 子どもの希望取材班
「自分たちに何ができるだろうか」 -2024年5月、下野新聞子どもの希望取材班は、年初からの大型連載「希望って何ですか 続・貧困の中の子ども」が終盤に差し掛かる中、子ども食堂「ほうぷけん」を立ち上げ、社会づくりのヒントを探る道を選んだ。“希望(hope)”から名付けられた食堂は、まもなく開設2年を迎える。貧困家庭の子どもたちが抱える孤独や不安、伴走支援の必要性を伝えてきた、編集局・大貫茉伊子記者、伊藤慧記者らは、ペンを執るかたわら今も食堂運営に携わっている。取材班が問い続ける答えは、地域に芽ぐみ、さまざまな人との関わりの中で着実に育まれている。(取材日:2026年4月7日)
-2024年の連載は「続編」と位置づけられていますが、どのような経緯で始まったのでしょうか。
14年、「子どもの貧困対策推進法」が施行された年に、当社は「希望って何ですか 貧困の中の子ども」の特集を組み、1億総中流に隠れた貧困の実相に迫りました。それから10年が経とうとしていた頃、かつての取材班のひとりに、社会的養護のもとで育った青年から「自分たちよりも過酷な環境に置かれた子どもたちがいる」という声が届いたそうです。子どもの貧困率自体は改善していると言われる中、数字には表れない子どもの苦しみがあるのではないか ―青年の声を受け止めた旧取材班メンバーが、続編のデスクを務め、そこに私たちを含む記者3人が集められました。3人は14年には入社していなかった面々です。それまで経験したことのない取材の中で、生活保護受給世帯ひとつ取っても、よく聞かれる自己責任論では片付けられない、それぞれが抱える困難があることを知りました。決して自分のものさしだけで語れない事実があることに気付くとともに、地元の新聞社だからこそ継続的に課題に向き合い、その実情を多くの人たちに伝える必要があると感じました。
-続編の反響も大きかったと伺っています。取材はどのように進められたのでしょうか。
14年の連載を経験したデスクからは、取材対象となる子どもたちと時間を共にすることの大切さを教わりました。連載当時、私たちは毎日のように「子どもの居場所」に足を運びました。そこは貧困などの困難を抱える子どもが安心して過ごせるように用意された場所で、食事や入浴などの生活支援が行われています。訪ねて特段何をするわけでもありません。一緒に食事をしたり、他愛もない会話を続けたり、ただ同じ空間で過ごす ―いわゆる「取材」のイメージとは程遠いかもしれませんが、子どもたちの気持ちに近づくためには、とても大切な時間でした。
ある時、居場所で知り合った生活保護家庭の女子中学生に、母親に抱いている思いを聞くため、カフェに誘いました。いつも通り明るく話してくれる彼女に母親との暮らしについて水を向けたところ、大粒の涙を流しながら「なぜ、育てられないのに沢山の子どもを産んだのだろう」と絞り出すように返してくれました。その姿は今でも胸に残っています。困難な状況に置かれている子どもたちは、大人が想像するより遥かに多くのことに思いを巡らせて、苦しんでいます。せっかく心を開いてくれた彼女を前に、万が一にも母親を責めるような記事にしてはならないと感じ、ペンを執ることができませんでした。私たちは、子どもたちの気持ちの断片のような言葉をつなぎ合わせ、それが本当に彼らの気持ちに合致するのか、答え合わせもしなければなりません。しばしば立ち止まり、葛藤しながら取材を続けました。
「昨日の紙面で紹介されていた、あの家庭を手助けしたい」「あの子に寄付をしたい」-読者の皆さまからは温かい声が数多く寄せられました。ただ、善意を示してくださる読者と、子どもやご家庭を直接つなぐことはできません。社会課題の解決と上手くかみ合わないもどかしさを感じていました。
-そうした課題感が「ほうぷけん」開設のきっかけになったのでしょうか。
開設まで順を追ってきれいに進んだわけではありません。続編開始当初、取材班の中で「あるべき子育て環境」について話し合っていたとき、最年少のメンバーが口にした「自分たちでやってみればいいんじゃないですか」。この言葉がずっと頭の片隅にありました。何か実践できたらと思いながらも、取材や執筆に追われる中で、気持ちが途切れそうな時がありました。それでも、子ども食堂など数々の取材先で、救われている親子がいることを目の当たりにすると「自分たちに何ができるだろうか」と前向きな気持ちが大きくなっていきました。そして、続編を提言で締め括るだけではなく、もう一歩踏み出してみようと子ども食堂「ほうぷけん」の開設を決めました。
社内外にアドバイスを貰いながら、賠償保険の手続きを進めたり、会場の大家さんに挨拶に出かけたり、食品衛生責任者の資格を取得したり。まさに“奔走”しました。当初は支局で開催したため、メンバーが自宅から鍋や皿を持ち寄る必要もあり、連載と並行しての準備は目が回るようでした。保険手続きに手間取ったことで、初開催は2日前の告知になりましたが、14人の参加で満席になりました。広く設備が整ったコミュニティセンターに会場を移した現在も、毎回、定員40名に達しており、子どもたちの居場所づくりの必要性をあらためて感じています。
-「ほうぷけん」は世代間交流も見られるようですね。
「ほうぷけん」は貧困家庭に限らず、誰でも参加できる場所です。子どもたちだけではなく、彼らを孫のように目を細めて見守ってくださる高齢者の姿もあります。
ある日、母親に連れられた小さなお子さんが「おかわり!」と大きな声で手を挙げてくれたことがありました。驚いた表情を見せるお母さんから、いつもは引っ込み思案なお子さんだと伺い、私たちも子どものちょっとした成長に立ち会えたようで嬉しくなりました。子どもたちにとって「ほうぷけん」は、学校でも学童でもない別世界です。色々な大人と会話する中で、少し背伸びをして話してみせる子どもたちの姿は微笑ましく、こうした社会との接点が、彼らの成長にもつながるのではないかと思っています。
食堂の様子は「ほうぷけん便り」として紙面やウェブサイトで発信しており、口コミの力と相まって支援の輪は確実に広がっています。また、取材先とのつながりから広がる輪もあります。例えば、大学教授の勧めで学生ボランティアの参加も多く、お兄さんやお姉さんとの交流に子どもたちも喜んでいます。
-新聞社が運営する利点をお感じになることはありますか。
ボランティアには、子ども食堂の取り組みに関心を持ち見学を兼ねて協力してくださる方もいます。詳しく話を聞くと、関心がありながらも行動に移せずにいたところ、本紙を通じて「ほうぷけん」を知り、「下野新聞さんが運営しているなら」と訪ねてくださったそうです。今、子ども食堂開設に向けて準備を進めていらっしゃる様子を伺うと、私たちの活動が社会貢献に向かうきっかけになったようで嬉しいです。実は同じように「新聞社だから」と集まってくださる方も多く、当社が長年培ってきた“社会的信用”の力と責任の重みを感じています。
食堂では18時からの食事が終わった後、ボランティアの皆さんが折り紙や工作などを披露してくださり、ちょっとしたイベントになっています。以前、近所の在宅医療クリニックの皆さまが、聴診器や血圧計などの医療機器を持参してくださったこともありました。初めて触れる道具に興味津々の子どもたちの姿に「体験の場」として広がりを感じるとともに、地域の皆さまが「経験を持ち寄る場」としても機能し得るのではないかと感じました。地域の力を掘り起こす契機にもなると期待しています。
-これからの見通しをお聞かせください。
開設当初、「片手間では続けられないのではないか」と心配の声がありました。現在は地域の方々や社員、学生ボランティアの力も借りながら運営しています。それでも、取材活動のかたわらで進める食材の調達・調理などは大変です。私たちが今も「片手間」であることは変わりません。ただ、善意を向けてくださる皆さまの「片手間が持つ力」を子ども食堂に結集できるなら運営面だけでなく、子どもたちの大きな助けにもなるはずです。
以前、やむを得ず、次回開催の中止を子どもたちに伝えた際、残念そうな表情を浮かべた子どもたちが、最後に「じゃあ、またその次ね!」と笑顔を返してくれました。特別な場所ではなく、当たり前の居場所になった「ほうぷけん」を、この先も続けていきたいと思っています。
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